「名もなきモノだけど手放せない品」
を目指して、素材も、デザインも
長く大切にできるものに
1989年/ヒコ・水野宝飾専門学校研究科卒
その後/ダイアモンド卸会社・インポートジュエリー会社勤務
2011年/ Un Chat Noirとして活動開始
ジュエリー作家になるまで
子どもの頃は、長野県の自然豊かな祖父の実家でたくさんの時間を過ごしました。実は私、本当は仏師か塗り師になりたかったんです。これは古い祖父の実家にある大きな仏壇の、仏像とその装飾が素晴らしかったから。また、祖父のもとに輪島塗の塗り師さんが作品を大きな箱に入れて毎年訪ねて来られて、その伝統工芸品の緻密な完成度と美しさに憧れを持ったからなんです。しかしその当時、輪島塗を教える学校もなく、仏師も塗り師の道も師弟制がメイン。唯一あったのが宝飾の専門学校でした。何かを作ることに喜びを感じていたので、迷わず宝飾の学校を選びました。卒業後はダイアモンドの卸やジュエリーブランドなどにデザイナー兼バイヤーで勤め、高級ジュエリーと言われる品に身近に接していました。家庭に入ってからはやはり物足りなさはずっと感じていて、トールペインティングや押し花アート、華道に茶道と趣味を広げていましたがどれも中途半端でした。
Un Chat Noir(アン・シャノアール)を立ち上げるきっかけは、娘が中学に上がったことと学生時代に揃えた工具や地金がかなり余っていたこと。そして、近くにカフェギャラリーのレンタルの展示スペースで、主婦のお小遣い稼ぎ程度の気軽さで販売をスタートができたことも大きかったですね。また、マルシェやネットでハンドメイド品が売買できる環境が整いつつあったということが背中を押してくれたと思います。
仕事と暮らしと環境
Un Chat Noirは子どもが中学に上がってからのスタートですが、実は幼稚園生の時に一度チャレンジをしているんです。長野のギャラリーに作品を置いてもらって結構売れていたのですが、子どもが小さいとなかなか制作ができない。バーナーや硫酸など危険物も扱いますから夜中に制作すると朝起きられない(今もですが…笑)。結果、幼稚園に連れて行けずに気持ちだけが先走るという悪循環で一旦は活動を辞めました。「無理をしない」そのとき学んだことです。作りたいという想いは溜めていましたが、時期と環境(子どもの成長)を待つことにしました。
現在は子ども達も高校生になったので、徐々に制作に重点を置けるようになりつつあります。自宅の4畳半の部屋をアトリエにし制作しています。
作品についての想い
いろいろなモノが溢れている中で見失ったもの。流行の流れの激しさで軽んじられてしまうモノ達。あまりにもモノが溢れて、培ってきた価値観までもが軽んじられてしまうような時代の流れ…ちょっと一休みしませんか?身近にある、名もなきモノだけど手放せない品の一つになれたら、という想いで制作をしています。年齢を重ねても物足りなくならないように、身につける方と共に変化出来るアクセサリーにしたいんですよね。
そのために素材選びの時点でこだわっているのは、永続的な美しさを保つことができる性質を持つ貴金属であること、品を失わないこと、イミテーションではなく天然の素材にこだわること、宝飾品と同じ石を使うこと…など。形作っていく際には、飽きのこない、ある程度の時を経ても使用し続けることが可能なシンプルなフォルムであることを心がけています。バランスにも気を配っていますね。指輪でしたらリングの部分の地金の厚さにボリュームを持たせ、ゴールドやプラチナのジュエリーに引けを取らないように、というようなこと。華奢なタイプリングでも重ねることでその方の個性が出せるようにと考えています。
「おばあちゃん、この指輪素敵ね!」「むか〜し買ったのよ」そんな会話が聞こえてくるような作品を作っていきたいです。
今後のこと
メーカーとしてブランドを展開していく、オリジナルティのある作品を作る、合同展示会に出展する(2017年)、構想中のbotanicalシリーズをデビューさせる、個展を開く。現在、この5つを今後のこととして心に抱いています。botanicalシリーズというのは、装身具という枠にこだわらずより自然の美しいフォルムを金属で表現しようと考えているものです。地金と会話しながら手探りで作っていくので、抱いている完成のイメージと実際はどう流れていくのかはわかりませんが…。最初は具象を、そのうちこれは何だ!?というような作品が作れたら面白いかな、と思っています。ユーカリがスタートです!
Un Chat Noir(アン・シャノアール)
2017年3月19日(日)
つむじマルシェ
2017年3月26日(日)
赤坂蚤の市
2017年3月29日(水)~4月4日(火)
東武宇都宮 東武百貨店5F クラフトマルシェ